シンの観劇公務の前日、各教室のスピーカーからジフの声が聞こえた。
『皆さん、おはようございます。理事長代行のユン・ジフです。突然ですが、明日、神話学園と共同で、全校生徒を対象に校外学習を行います。場所は、スアム文化劇場。内容は、パリ本場のオペラ鑑賞です。皆さんの為に無理を言って、1公演増やしていただきました。因みに皇太子殿下の公務も兼ねています。報道陣が多数詰め掛けていると予想されますが、芸術高校の名を汚さぬよう行動してください。カメラの前でふざけた生徒は、僕が個人的にお仕置きをします』
この言葉で各教室に笑い声が響いたが、ジフの本性を知っている数人だけは、顔色を悪くした。
『皆さんの学習内容は、各科によって違うと思います。音楽科はオーケストラ演奏や俳優たちの発声、舞踊科は出演者たちの表情や仕草、美術科は舞台装飾や背景、そして映像科は照明技術など各自で色々感じてください。またフランス留学を希望している人は刺激剤にしてください。集合は、1時に芸術高校玄関前。全員でバスで行きます。公演開始まであまり時間がありませんので時間厳守。遅れたものは欠席扱いとします。尚、帰りは現地解散とします。ですが、金曜の夕方です。羽目を外して、警察のお世話になるような事は避けてくださいね。僕、頭下げに行くのイヤだからね。では皆さん、明日、オペラを楽しみましょう』
全校生徒はこの大胆な校外学習に驚き、大いに喜んだ。
なぜなら、この公演はチケットが高いうえ夜公演しかなく、大半の芸校生にとって高嶺の花の公演だったからだ。
「シン、知ってたか?」
「公務は承知してたけど、校外学習は初めて聞いた」
「ジフさん、すげぇな。あのウィットに富んだ話術・・・皆、笑ってたけど、俺 顔引き攣ったし・・・」
「イン、お前だけじゃないって。あの人を知っている生徒は全員引き攣らせたと思うよ。ああ、チェギョンは別ね」
「ククク・・・チェギョンなら、間違いなく≪オッパ、バッカじゃない?≫って言ってるな」
「シン、明日は僕達と一緒にバスで行くの?」
「いや、2時間だけ授業受けて早退する予定と聞いてる。一旦、宮に戻るんじゃないか?やっぱ制服で公務はマズイだろ?」
「確かにね」
その日の夕方、マスコミ各社にシンの公務の時間変更を知らせるスアム文化財団からのファックスが届いた。
報道各社は、事実確認や担当記者の確保やスケジュール変更など、慌ただしくなった。
また通訳をゴリ押ししてきたペク王族の家には、ユン・スンレ直々に電話を入れ、留守の主の代わりに家政婦に伝言を頼んだ。
会食を終え帰宅したペク王族は、書斎でスンレの伝言を見た瞬間、慌てて娘の部屋に駆け込んだ。
だが娘はおらず、連絡しようにも連絡が取れない。
肝心の母親は明日に備えてパック中で、娘の事は何も知らず、パク王族は頭を抱えてしまったのだった。
翌日、シンは2時間授業を受けた後、予定通り学校を早退した。
「ガンヒョン、チェギョン 昨日具合悪かったっけ?とうとう来なかったね」
「残念だよね。折角のオペラ公演なのにさぁ・・・」
「・・・うん」
「ガンヒョンが生返事って珍しいね。チェギョンがいなくて、保護者としては寂しいわけ?クスクス」
(ひょっとして素性を明かす?そのつもりなら、そういうことなのかしら?)
午後1時、登校していた生徒は全員、遅刻することなくバスに乗り込み、スアム文化劇場に向けて出発した。
但し、ユルだけは、ジフが手配した車に乗り、裏口から劇場に入り控室に案内された。
「ユル君、いらっしゃい」
「チェギョン!学校休んで、何でここにいるの?それも制服じゃないし・・・」
「うん、オンマに演出家のパリスの通訳頼まれたの。シン君は、王族会から誰か付くんだって・・・」
「・・・プッ、そういうことか・・・ハハハ・・・で、ジフさんは?」
「うん。今日は、スアム文化財団理事兼芸術高校理事長だから忙しいって、オンマとバタバタしてる」
『バタン』
「チェギョン・・・ああ、ユル君、いらっしゃい。もう生徒着いたから、観客席に移動して良いよ。係の者に案内させるね」
「はい、お手数おかけします」
「チェギョン、そろそろ殿下がいらっしゃる。出迎えの準備、行くよ」
「は~い」
「とりあえず、パリスの横にいて。後は、臨機応変でお願いね」
「了解♪」
その頃、劇場の入り口で取材をしようとしていた報道陣は、バスで乗り付けてきた生徒たちを見て驚いていた。
生徒たちは礼儀正しく、報道陣の質問に答えることなく、劇場内に入って行く。
報道陣は、何が何だか分からず、シンの公務はデマだったのかと疑心暗鬼に陥る者もいた。
そして時間になり、主催者側が出迎えに立つと、取材するマスコミに安堵の気持ちが広がった。
最初に出迎えるため、先頭に立つユン・スンレ、次いでユン・ジフとク・ジュンピョ、そして舞台の総演出家が立った。
その中で、一際目立つ存在が2人いた。
総演出家とニコヤカに談笑している女子高生ぐらいの女性と少し離れた所で自信に満ちた表情で立つド派手な女性だ。
報道各社は、第一報が王族からの情報で、この公務で皇太子妃候補が出迎えるということだったが、これが完全に王族の独断でガセネタだと理解した。
やがてシンを乗せた公用車が車止めに停まり、シンが玄関に降り立った。
シンは、一番最初にスンレと挨拶を交わし、続いてジフやジュンピョと握手を交わした。
そして横にずれ、総演出家の横に立つチェギョンに気づき、驚いてしまった。
「本日、総演出家のパリス・ラッセン氏の通訳を務めますシン・チェギョンです。宜しくお願いします」
「よろしく。チェギョン、ラッセン氏に僕の自己紹介してくれる」
≪パリス、こちら、皇太子のイ・シン殿下よ。実は、同級生で幼馴染なの≫
≪ひょっとして、前に聞いた噂の『チン君』かい?≫
≪///やだ・・・誰が話したの?実は、そうなの≫
≪おお・・・君がチェギョンのBFだね。会いたかった≫
総演出家パリスは、シンに握手しながら思いきりハグし、シンだけでなく報道陣をも驚かせた。
「パリス!シン君、ゴメンね。彼、チン君のこと誰かに教えられたみたい」
「ぷっ、そういうこと。了解。そろそろ公演が始まる時間じゃないのか?」
≪パリス、そろそろ中に入ろう。公演、始まっちゃう。途中の解説、お願いね≫
≪おお、勿論だよ。さあ、殿下、行こう♪≫
パリスはシンとチェギョンの肩に腕を回すと劇場内に入って行き、その後ろを苦笑するスンレが続いた。
残ったのは、呆気にとられているド派手な女性と立ち話しているジフとジュンピョの3人だった。
そこに怒りの形相で、ペク王族が駆け寄ってきた。
「どういうことなんだ?」
「仰ってる意味が分かりませんが?彼女は、スアムが付けた総演出家の通訳です。お嬢さんは、殿下の通訳をすればいいじゃありませんか。僕は止めてませんよ」
「スア、なぜ殿下の傍に行かなかったんだ」
「だって紹介してくれなかったんだもの」
「お嬢さん、僕は宮に問い合わせしましたよ。ですが、宮は王族に依頼した覚えはないとのことでした。僕が紹介する義務はないとおもいますけど?」
「なぁ、さっきの会話、理解できたか?ジフ、通訳の実力があるのか?」
「さぁ?≪ねぇ、君、公務を甘く見てない?何で、昼の公務なのにその格好なのさ。スアムをバカにしてる?≫」
「えっ!?≪ウィ(はい)≫」
令嬢が『はい』と答えた瞬間、ジフとジュンピョの顔が怒りの形相に変わった。
「ペクさん、あなたの会社との取引は本日付で停止させていただきます」
「は?」
「親友をバカにするような娘をお持ちの貴方とは取引は勿論、顔も見たくないですね」
「あ、あの・・・」
「大体、前日に日付が変わるまでクラブで遊び呆けて二日酔いで来た上にその服装。殿下の公務をバカにしてるとしか思えない。もしくは、スアム文化財団をバカにしてるのか・・・ジフは、お嬢さんにそう聞いたんですよ。なのに答えは『イエス』だ。怒って当たり前だと思うが?」
「「!!!」」
「悪いけど、宮には報告させてもらうから・・・実力もないのに通訳させようとするバカ親がいるってね。ジュンピョ、行くよ」
呆然とする王族父子を置き去りにし、劇場内に入ろうとしたジフ達を一人の勇気ある記者が呼びとめた。
「ユン・ジフ氏、少し質問させてください。なぜ昼の公演に変更されたのですか?」
「・・・皆さんもご存じだと思いますが、労働基準法というものがあります。皇族は適用外なのかもしれませんが、殿下も一応高校生です。それに配慮しました」
「では、なぜ多くの高校生を招待したのですか?」
「彼らは僕が理事をする芸術高校の生徒と隣におりますク・ジュンピョが理事をする神話学園の生徒です。校外学習として、オペラ鑑賞させました。芸校生は各科なりの視点で観劇し、神話の生徒は語学勉強の一環で役立つと考えました。それに殿下に公務ではなく、一高校生として友人達と観劇してほしかったのもあります。これでいいですか?」
「さ、最後にもう一つ。総演出家の通訳をしていた女性は、どなたですか?」
その質問にジュンピョは、ジフの顔を心配そうに覗き見た。
「彼女は・・・スアム文化財団理事の一人ユン・スンレの娘で、彼女もまた芸術高校の生徒です」
「「「!!!」」」
「では・・・」
報道陣が驚く中、ジフとジュンピョは劇場内に入って行った。
ジフの一言で、報道陣は一気に浮足立った。
スアム文化財団の隠し玉と言われ、ユン・ジフ達御曹司が溺愛し隠してきた謎の女性が、ヴェールを脱いだ。
夕刊の一面を『皇太子妃決定』から『スアム文化財団の令嬢が表舞台に』に変更するように記者達は、会社に第一報を入れたのだった。
その夜、一人の王族の除名が、王族会に知らされた。