邸の入り口で、一人の老女に出迎えられた。
「姫さま、お帰りなさいませ」
「突然、客人を連れ戻ってきて申し訳ありません。おばあ様、しばらくお世話になります」
「・・・お部屋へご案内いたします」
門を潜ると、老女はシン達に建物の説明をしながら、邸内へ案内していった。
ジテは、史学の教授らしく辺りをキョロキョロしながら歩いている。
老女が客間へ案内しようとしたが、シンは丁重に断りチェギョンと同室を希望した。
「はぁ、言うと思った。おばあ様、皆さん、初めての場所で心細いようです。私の部屋で休んでもらう事にします」
「ですが、姫さま・・・」
「皆さん、祭祀の準備で忙しい筈です。食事の用意はお願いしますが、それ以外の世話は無用です。そう皆さんにお伝えください」
「・・・かしこまりました。何かございましたら、いつでもお呼びくださいませ」
「ありがとうございます」
老女が立ち去ると、チェギョンは自分の部屋にシン達を招き入れた。
ジテは、部屋に置かれている年代物の調度品に興味を示し、間近でジッと観察している。
「余り帰ってこないから、殺風景でしょ」
「・・・伯父上に聞いたが、チェギョンは百済王朝の子孫なのか?」
「さぁ、知らない。王様の子孫かもしれないし、王様に仕えていた下男の子孫かもしれないわよ。ただ霊廟には、薯童謡(ソドンヨ)の主人公、武王と善花妃の位牌は祀ってあるわね。書庫を探せば家系図が出てくるかもしれないけど、祖先が誰であろうが私は私だし関係ないと思ってる」
「チェ、チェギョンさん、その書庫を見せていただくことはできないか?できれば、霊廟にも拝礼させてほしいんだが・・・」
「おじ様、そのつもりで招待しましたから、ご自由にどうぞ。ただし文献に関しては、この邸より持ち出し禁止です。それだけは守ってください」
「ありがとう」
「おじ様、戻ってきたらご先祖様に挨拶する決まりなんで、一緒に行きますか?正直、何の変哲もない霊廟だとは思いますけどね」
「是非、お願いする。シン、お前も来なさい」
「勿論です」
「ヒスン、あまり興味ないよね。ここで待ってる?」
「一人は嫌だから一緒に付いていく。ここ静かすぎて、落ち着かない」
「じゃあ、帰りにお風呂に寄ろう。ここのお風呂、なかなか風情があって良いんだ。じゃ、行こっか♪」
「チェギョン、着替えは?」
「要らない。多分、皆の分も用意されてる筈だから大丈夫だよ」
霊廟は、邸の一番奥まった場所にあった。
重厚な観音扉を開け、中に入ると、一番初めに目についた物は、教科書で見たことがある黄金の香炉だった。
「チェギョン、これ・・・」
「ああ、これ。博物館に似たようなものがあるらしいね。百済金剛大香爐だっけ?」
「・・・どういう事だ?」
「対だったのか、誰かが贋作したのか、誰にも分からない。ただ分かってるのは、一族がここに住み始めてからこれが外部に持ち出されたことはないってことだけ」
「「・・・・・」」
「念を押すようだけど、このことは秘密だからね。おじ様も世紀の大発見とか言って、学会で発表しないでくださいよ」
「わ、分かった」
「これが、武王と善花妃の位牌。で、ここにある中で一番古いかな?じゃ、私は挨拶するから、適当に見学していてください」
チェギョンが神妙な面持ちで拝礼をする横で、ジテは一つ一つの位牌をじっくりと見ていた。
「シン、凄いぞ。私が見る限り、武王以降の子孫が代々祀られている。間違いなく李王朝より歴史は古いぞ」
「道理で姫さまと呼ばれるわけだ・・・何か納得」
「ん?チェギョン、この遺影・・・俺、この人、知ってる」
「じゃあ、会った事あるんじゃない?先帝のお爺ちゃまと友達だった私のお爺ちゃんだもん」
「記憶はないけど、多分会った事があるんだろうな」
ヒスンは、シン達の会話を夢物語のように聞いていた。
「はぁ、何か私だけ場違いの気がする・・・」
「ヒスン、私はあなたが羨ましいけど?確かにご両親は不幸な事故に遭われてしまったけど、ヒスンの中にはご両親から愛されて育った思い出があるでしょ?」
「ええ、そりゃ、まぁ・・・親子だったし・・・」
「・・・私にはそんな記憶はない。物心ついた時には、お爺ちゃんしかいなかった」
「ご両親は?」
「いるよ。弟と3人で暮らしてる」
「「「・・・・・」」」
「ヒスン、そんな顔しないでよ。古い家って、どこでも大体そんなもんだよ。後継者を一気に失くすわけにいかないから、不測の事態に備えて別々に暮らすってやつ。シン君もそうだよね?」
「まぁな・・・俺も5歳から一人暮らしだ」
「ヒスン、名家って全然羨ましくないでしょ?」
「うん・・・」
「あああ、もう暗い話は止め、止め!気分を変えて、お風呂に行こう」
チェギョンは3人を霊廟から追い出すと、風呂場へと先頭だって歩き出した。
風呂の前でアジュマ二人が頭を下げて立っていて、チェギョンは二人に気づかれないように溜め息を吐いた。
「お気持ちは有難いのですが、アジュマ達が一緒だとお客さまが寛げません。祭祀当日はお願いしますから、どうか準備の方に回ってください」
「姫さま・・・」
「シン宗家は、いつからお客様をもてなす心を失くしてしまったのでしょうか?私は、ここが誰もが癒される場所であってほしいと思います」
「申し訳ありません。皆さま、ごゆっくりお寛ぎください」
アジュマが立ち去っていくと、チェギョンがやれやれという感じで大きく息を吐き、3人を脱衣所に案内した。
「チェギョン、アジュマ達は何をしようとしてたんだ?」
「私の湯あみの手伝い・・・ここに来たら、一人でお風呂入らせてもらえないんだよね。はぁ・・・」
「お疲れさん」
「うん。そっちが男湯だから、ごゆっくり。それから脱衣所に湯あみ用にソッチマやソッパジ(韓服仕立ての下着)が置いてあると思うから、裸が不味いなら身につけて」
「サンキュ」
脱衣所には、下着だけでなく韓服が着替えとして置いてあり、シンとジテは驚いた。
2人は、裸になるとタオルを腰に巻いて、浴室へ続く扉を開いた。
「温泉だ。。。こんな山の中で温泉に入れるなんて・・・おお、露天風呂もあるみたいだぞ」
「クスクス・・・伯父上、ここに来てから興奮しっぱなしですよ」
「当たり前だ!私にとったら、ここは宝の宝庫だよ。昨日の会議で、チェギョンさんに気に入られてホント良かった」
「皇后さまのお蔭ですよ。さっき言ってたでしょ。両親との思い出がないって・・・そんなチェギョンにとって、皇后さまは母親のような存在のようです」
「ミンが?・・・なら、シン、今日はヌナが心配で追いかけてきたのか?」
「クスっ、これでも一応、オッパ希望です・・・今回のことで宮は、チェギョンに大きな借りができました。その借りを俺なら返そうなので・・・」
「どういう事だ?」
「すぐに分かりますよ。露天風呂の方にも行きませんか?」
ジテは、シンの行動を許している宮を不思議に思っていたが、何となく分かった気がした。
だが、チェギョンの背景を知った今、それが可能な事なのか頭を悩ますのだった。
(シンもだが、これだけしきたりだらけの場所で生きている扶余姫に自由恋愛は許されるのだろうか・・・)