シンとチェギョンは、本当にイジュン中心の生活になった。
思考錯誤しながらの育児は、時には泣きそうになりながらもシンとチェギョンは充実した日々を送りだした。
勿論、頭の片隅には皇后の病状の事もあったが、2人には皇后を見舞う時間がなかった。
ところが、突然、事態が急変した。皇后が、全ての治療を止め、宮に戻ってきたのだ。
シンとチェギョンは、慌ててイジュンを連れて、皇后の寝室へと向かった。
「母上、どうして・・・」
「シン・・・言いたいことは分かっています。でも最期は、シンやジュナがいるここで迎えたかった」
シンは、皇后の言葉に必死で涙を堪えた。
「チェギョン、ハン尚宮から色々と聞いたわ。ありがとう。やっぱり貴女にジュナを任せて正解だったわ」
「おば様・・・なら、宮の事は私に任せて、安心して病院に戻ってください」
「いいえ、一番の心配事が病院にあったら、安心なんてできないわ」
皇后はそう話すと、ベッド脇に座る陛下を優しげに見つめた。
「話しましたよね?貴方は、私の夫ですが国父でもあるのです。この国の皇帝として宮を守り、国民の事を考えてください」
「ミン・・・」
「お願いです。どうか、私が安心して旅立てるよう 頑張ってくれませんか?」
「・・・私を置いて旅立つなんて言わないでくれ。もう一度、病院に戻って治療を受けよう。な?」
そんな2人の姿を見て、ヘミョンやハン尚宮たち、その場にいる職員たちは涙ぐんでいる。
チェギョンは、意を決して口を開いた。
「キムオッパ、陛下の執務の用意を」
「「「!!!」」」
「チェギョン、お母さまを愛するお父さまのお気持ちが分からないの?」
「・・・ええ、分かりません。陛下こそ皇后さまのお気持ちがお分かりになっておられないように思います。陛下がこのままなら、皇后さまは『主君を骨抜きにした悪女』として歴史に残るでしょうね。それでも良いんですか?」
「「「!!!」」」
「王族会の腐敗、執務・公務の放棄、全てが皇后さまの責任になるということです。命を懸けて愛する陛下の御子を生んだとしても陛下の寵愛を独占したいがためと湾曲されてしまう。それが、国民が学ぶ歴史です。陛下、本当に皇后さまを想うなら、執務をこなしてください。王族に弱みを見せてはいけません。未だに虎視眈々と権力を握ろうとしている王族はいます」
「・・・コン内官、俺の執務室から陛下に回せる案件をキム内官に渡せ」
「かしこまりました」
「陛下、チェギョンの言う事は間違ってはいません。母上に汚名を着せたくなければ、執務をこなしてください。キム内官、陛下を執務室へ」
「御意。さぁ、陛下、参りましょう」
キム内官に支えられ、陛下が部屋を出ていくと、皇后はシンとチェギョンに手招きをした。
「ありがとう。これからも私の代わりに陛下を叱咤激励してちょうだい。お願いね」
「「母上(おば様)・・・・」」
「それよりジュナを抱かせてくれない?この為に戻ってきたんだから・・・」
シンは、抱いていたイジュンをベッドに座っている皇后に渡した。
イジュンを受け取った皇后は、肩を震わせながらイジュンをギュッと抱きしめる。
「ジュナ、オンマよ。やっと抱いてあげられた。ミヤネ・・・」
涙を堪えたチェギョンは、誰にも告げずそっと部屋を抜け出すと、廊下に控えていたチェ尚宮に耳打ちした。
「オンニ、しばらくジュナと一緒に皇后さまの許に・・・少し外の空気を吸いに外に行ってきます」
「・・・チェギョン様、お一人でですか?誰か、付けます。少しお待ちください」
「大丈夫です。宮の外には行きません」
チェギョンの姿が見えなくなるまで見送ると、チェ尚宮は東宮殿付きの女官に連絡をして、イジュンの1日分の着替えや粉ミルクを皇后の部屋まで持ってくるように指示を出したのだった。
「チェ尚宮、チェギョンは?急に見えなくなったんだけど・・・」
「それが・・・外の空気を吸ってくると、先程出て行かれました。宮の外には行かないので、心配するなと・・・」
「・・・心当たりは?」
「申し訳ありません。」
深刻そうな2人の姿を見ていた女官見習いが、そっと近づいてきた。
「お話中、申し訳ありません。梅の樹にいます」
「梅の木?」
「はい、枝ぶりの良い梅の樹。おそらくチェギョンはそこにいます」
「貴女は、チェギョンの紹介で来た人ですか?」
「・・・殿下、チェギョンをお願いします」
「えっ!?」
女官見習いは、シンとチェ尚宮に一礼するとスッと離れていった。
「・・・チェ尚宮、彼女はどこの女官見習いだ?」
「申し訳ありません。私も初めて見る顔です」
「・・・じゃあ梅の老木は、知っているか?」
「はい。昔、義禁府だった建物の傍にあったような気がします」
「・・・行ってくる。ジュナを頼む」
正殿を出ると、シンは法度も忘れて元義禁府があった場所まで走った。
(いた!!)
チェギョンの姿を認めた瞬間、チェギョンがシンに気づき、梅の樹の枝が風もないのに大きく揺れた。
(今の何だ?)
「シン君、こんなとこまでどうしたの?」
「急にいなくなったら、心配するだろうが・・・頼むから、一人で行動するな」
「安全な宮の中だってば・・・ホント、ウビンオッパの心配性が移ったみたい。クスクス」
「・・・チェギョン、今、誰か一緒にいたか?」
「ううん・・・一人だったよ」
「そっか・・・それなら良い。東宮殿に戻ろう」
シンは、胸に過ぎる不安からかチェギョンの手を掴むと、ギュッと握ったのだった。
(チェギョン、どこにも行かないよな?)