引継ぎが終わったユン尚宮は、チェギョンの身の回りの世話をする私設秘書として東宮殿に放り込まれた。
「はぁ?シン君、ただの居候に尚宮って・・・いいわよ」
「キム内官の代わりだ。キム内官程期待できないが、扱き使ってやれ」
「キムオッパも私にしたら役立たずだったわよ!!オンニ、適当で構いません。よろしくお願いします」
「こ、こちらこそ宜しくお願い致します」
有能なキム内官を無能呼ばわりするチェギョンが、ユン尚宮は信じられなかった。
「シン君、勝手に決めちゃったけど手配したから、旅行行ってきなよ」
「チェギョン・・・母上が断ったから、計画は白紙になったんだ。だから気持ちだけ受け取っておく。サンキュ」
「行かなかったら、一生後悔するよ。行った方が良い。おば様の説得は私がするから、ね?」
「チェギョンは?」
「私?私はお留守番してる」
「チェギョン!お前は、俺の大事な家族だ。。。お前だって、本心は行きたいんだろう?」
「・・・家族だから、残って宮を守ってる。これは、私にしかできない事だから。この機会に溜まってる宗家の仕事をやってしまうつもり。だからシン君、分かって?」
「チェギョン・・・」
「ほら、そんな顔しないの。同行する人も選定しておいた。翊衛士だけは、任せるね」
資料を受け取ったシンは、余りの用意周到さに驚いてしまった。
「チェギョン、東宮殿の職員全員連れていくって・・・大丈夫なのか?」
「失礼な・・・私は一人で何でもできます。ジフオッパもいるし、ちゃんと睡眠も取れる。だから安心して、いってらっしゃい。ほら、パクお婆ちゃまに報告してきなさいよ」
チェギョンに背中をぐいぐい押され、シンは渋々東宮殿を出ていった。
笑ってシンを見送ったチェギョンは、笑顔を引っ込めると以前隠されていた奥の部屋へと入っていった。
ユン尚宮は、黙ってチェギョンの後を付いていく。
「いる?」
『はい、姫さま』
「見つかった?」
『正殿に一人。皇后さま付きの女官が怪しいかと・・・』
「そう。予定通り、旅行に行ってもらえそう。準備は?」
『滞りなく・・・』
「あと一つ。東宮殿の料理人を手の者にしたい。もう餓死しそうよ」
『クスッ、食いしん坊は相変わらずね。ハギュンさまに相談します』
「お願い」
窓際に置かれたベッドに座って、姿の見えない女性と会話していたチェギョンを見て、ユン尚宮は固まってしまっていた。
「オンニ、この事は2人だけの秘密ね。安心して。こんな面倒な宮を乗っ取るつもりはないから」
「あの・・・お話していた方は・・・」
「・・・深く追求しないでほしい。オンニは何も見なかったし、聞かなかった。それができないのなら異動してくれる?」
「チェギョン様・・・」
「うちの家系は、幻の宗家。ずっと王朝の影で、ひっそりと数百年続いた家系なの。数百年続いているノウハウを宮で活かす。これが私がここにいる理由。オンニ、この辺りで納得してくれない?」
「・・・かしこまりました。チェギョンさまを信じます」
「ホッ、ありがとう」
「ところでチェギョン様、私は何をすればいいのでしょうか?」
「ん~・・・宮を巡回して、職員たちの悩みを聞いたり、問題点を探して、どんな些細な事でも私に報告する」
「えっ、そんな事でいいのですか?」
「李王朝の歴史は、皇族や王族だけで作られてると思う?オンニ達職員がいて、支持する国民がいるから成り立っているの。オンニ達が宮で働くことに誇りを感じてくれると、今回のような造反者は出ない。だから働きやすい環境を作ることがオンニの仕事。職員全員の相談窓口ね。私は、御爺ちゃんに連れられて3歳からしてるけど、決して楽な仕事じゃないよ」
「・・・頑張らせていただきます」
「そ・・・じゃ、頑張って」
ユン尚宮は、チェギョンの13歳とは思えぬ受け答えに、ヘミョンとの器の違いを感じたのだった。
皇族たちが旅行に出発する日。
チェギョンは、以前チャーターしたリムジンバスより豪華な車椅子で乗降できる2階建てリムジンバスを用意させていた。
「チェギョン、本当にありがとう」
「いいえ、宮は私に任せて楽しんできてください。それから同行する職員・翊衛士の皆さん、絶対に場所の特定や詮索はやめてくださいね。そして皆さんものんびりできることを祈っています」
リムジンバスが動き出すと、皇后はシンを呼んで、隣に座らせた。
「シン、チェギョンはどこに連れていってくれるって?」
「それが・・・行ってのお楽しみだとかで教えてくれませんでした。ただシン家所有だが絶対に傷つけるな、セキュリティーは完璧だから安心してくれとだけ・・・」
「なんだ、また古(いにしえ)の王妃ツアーをさせてもらえるのかと思っちゃった」
「扶余の里はソウルから3時間以上掛るので、他の場所でしょうね。それよりチェギョンは、何て母上を説得したのです?」
「・・・自分ではなく、シンやヘミョンの事を考えてほしいと言われたわ。一生後悔や罪悪感を持たせるより楽しい思い出を残してあげたくはないかって・・・チェギョンの優しさは、一体どこから来るのかしら?」
「ええ、本当に・・・」
「お祖父さんのチェヨンさんもそういう方でしたよ。クセが強くて敵の多い人たちが、唯一息が抜けるオアシス。今もチェギョンの周りに大勢いるでしょ?」
「確かに・・・おばあ様、おじい様もその一人だったのですよね?」
「ふふ、そうよ。『ソンジョが一番我が儘で厄介だ。パクさんが甘やかすからだ』と、チェヨンさんは笑っておられたわね。ヒョンは、チェヨンさんに会った事はないのかしら?」
「おそらくあの人だと思うのですが・・・太子が生まれた翌年、父上から太子を連れて夏の御用邸に来いと言われたことがありました。その時、太子と同じぐらいの女の子を連れた親子に会いました。今から思えば、あれがチェギョンだったのかもしれません」
「まさか、ヒョンもミンも知らなかったのか?その時のシンとチェギョンの写真が、何かの大賞を取ったのですよ」
「「「え~~~!!!」」」
「ご子息が応募したみたいで、しばらくビルの上で大きな看板になっていたわよ。お忍びであの人と見に行ったもの」
「全然、気づきませんでした。今からでも一度見てみたいです」
「・・・それは難しいかもしれませんね。チェヨンさんは、そのカメラマンのご子息を勘当されましたから・・・」
重苦しい空気が流れ出したバスが、停車し、扉が開いた。
翊衛士たちの後に一番に降り立ったシンが見たものは、梅園の中に佇む一軒の洋館だった。
洋館の玄関まで行くと、杖をついた男性が、シン達一行を出迎えた。
「ようこそ、いらっしゃいました。この梅園の管理を任されている者です。滞在中、ごゆるりとお過ごしくださいませ。中をご案内いたしましょう」
シンは、ふと思いついたことがあり、管理人に声を掛けた。
「もしかして、貴方はイ・ジェム氏ではありませんか?」
「太子、この方を知っているのか?」
「いいえ。チェギョン、扶余の里、梅園とくれば、連想される人は只一人です。貴方は、何代目に当たる方ですか?」
「クスッ、流石、姫さまのお眼鏡に適った人だ。侮れない。いかにも、遠い祖先があなた方と縁があった15代目イ・ジェムです。一梅枝(イルジメ)と言った方がよろしいかな?」
「「「!!!」」」
「・・・イ・ジェム氏、ご子息かお仲間が宮に出入りしていますよね?」
「やはり気づかれていましたか。修行不足で申し訳ない。我らは、姫さまを守る為に存在する者。あなた方が姫さまに牙を向けない限り、我らは何もしません。どうか気づいても知らぬ振りをしていてください。お願いします」
イ・ジェムが放つオーラに圧倒されそうだったが、そのオーラを物怖じともしない人がいた。
「まぁ~、あなたがイルジメの末裔なのね。扶余の里で古い文献を読んで、憧れてましたの。チェギョンに会わせてほしいってダメ元で言って、私が頼みましたの。これで、夢が一つ叶ったわ♪」
(母上、貴女は誰よりも大物です・・・)