ユン・ジフは、皇族を前にしても緊張した素振りも見せず、御曹司の雰囲気を纏って優雅に一礼した。
「皇族の皆様方、初めてお目にかかります。殿下が通っておられる芸術高校の理事を務めておりますユン・ジフと申します。本日は、チェギョンが大変お世話になり、ありがとうございました」
「皇太后のパクです。私達の方が、チェギョンと楽しいひと時を過ごせ礼を言いたいほどです。さぁ、こちらにお掛けになって、一緒にお茶にしましょう」
「ありがとうございます」
シンは迷ったが、ジフに一人掛けのソファーを勧め、自分はチェギョンの横に腰掛けた。
「外まで大きな笑い声が聞こえていましたが、何か面白いことがあったのですか?」
「クククッ、先程、太子が大笑いした内容を聞いていたのだよ。男としては少々複雑だったが、やはり可笑しくてな」
「ああ、シン家の叔父の話ですね。納得です。あっそうだ、先帝のソンジョおじ様には、生前祖父共々本当に身内のように接していただきました。祖父の代わりにお礼申し上げます。ありがとうございました」
「えっ、あの人からユン・ソギョン氏と親交があるとは聞いた事がないのですが・・・」
「皆さまには辛い話になるかもしれませんが・・・丁度、孝烈殿下が亡くなられた直後にチェギョンの祖父が、私の祖父に引き合わせました。『儂は嫁を失う辛さは知っとるが、息子は分からん。お前の方が、コイツの心に寄り添ってやれるだろ。仲良くしてやってくれ』とソンジョおじ様の肩に腕を回して、シン家の祖父は紹介してました。僕の祖父は、その言い回しに嫌そうな顔をしていましたが・・・それと先帝がユン邸に通うのは都合が悪い。呼び出したらすぐに来いよと命令してましたね」
「なぜ、ユン邸は都合が悪かったのじゃ?」
「とうの昔に引退して町医者をしていますが、祖父は大統領まで務めた元政治家です。先帝が痛くない腹を探られ、窮地に陥らない為です。シン家なら一人娘の嫁ぎ先ですし、娘を心配して祖父が足繁く通っていると言い訳できますので」
「シン教授は、細やかな配慮をいつもしてくださった。今でもあの頃を思い出すと感謝の言葉しか浮かばない」
「クスッ、陛下、買い被り過ぎです。あの叔父の父親ですよ。十分、可笑しい人でした。『こら~、我が家で高貴なオーラを出すな!ただのイ・ソンジョになれ!』と言って頭を叩き、僕にも『ここでコイツを陛下と言ったら殴るぞ。ソンジョアと呼べ』と命令でした。で、僕は仕方なくソンジョおじ様と呼ぶ羽目になった訳です」
「いえ、それで良かったのです。疲れた様子で出ていくの憑き物が落ちたように穏やかな顔でシン家から戻ってくるのです。シン家で何を話してるのだろうといつも不思議に思ったものです」
「僕も毎回シン家に行っていた訳ではないので祖父からの又聞きですが、最初は『ほら、泣けよ。玉ねぎの所為だと思ってやるから』と大量の玉ねぎをスライスさせられてたそうです。挙句の果てに『泣きたい時は、全部食ってやるから、玉ねぎ持参で来い』と言い放ったそうです」
「えっ、えっ、ちょっと待ってオッパ。玉ねぎのお爺ちゃんが先帝ってどういうこと?中国人じゃなかったの?」
「うん、違う。チェギョンは、玉ねぎのお爺ちゃんの仕事何だと思ってた?」
「・・・玉ねぎ農家」
「やっぱり・・・進路、ガンヒョンから聞いたけど、どうする?そのまま農学部に進む?」
「・・・止める。行っても意味がない」
「だね。もう一度、考え直しな」
俯いていたチェギョンが、突然ハッと顔をあげた。
「お、オッパ・・・玉ねぎのお爺ちゃんが先帝さまってことは、チン君は・・・まさか・・・」
「うん、殿下の事。お前、小さい頃、舌足らずだったろ?俺、そのまま受け取ったから、中国人なんだって言っちゃったんだよね」
「はぁ・・・今までの努力、全部パーじゃん。もっと早く言ってくれればいいのに・・・」
「ゴメン。でも語学をマスターするのは悪い事じゃない。きっとこれからの人生に役に立つさ」
「・・・うん。」
「ジフ君、すまないが我々にも分かるように説明してくれないか?」
「僕の両親が早くに他界したため、祖父が起ち上げた財団を支えているのは叔母です。叔母は、子ども二人を実家に預けて仕事に復帰したのですが、シン家の祖父がチェギョンを宮に連れていったり、先帝の侍従だった人が皇孫さまを連れてきたりして、一緒に遊ばせていたみたいです。僕は学校へ行っていた為、何も知らなかったので、『わたち、チン君と結婚の約束ちたの』と言われた時、中国人の男の子と仲良くなったんだなと安易に考えてしまって・・・なら、中国語を話せるように勉強しないとなと言ってしまったわけです。これが、チェギョンの言う、今までの努力です。先程も話しましたが、誰も『陛下』と呼ばず、『ソンジョ』もしくは『ソンジョおじ様』と呼んでいたのと玉ねぎ持参で来られた翌日からしばらく玉ねぎ料理が続くので、玉ねぎ農家を営んでいるお爺ちゃんと今まで勘違いしてたみたいですね。で、玉ねぎ農家のチン君に嫁ぐなら、農学部に通って玉ねぎの栽培の研究をしようと考えた。チェギョンらしい発想ですが、根本的に間違ってますしね。今、正した訳です」
「クククッ・・・チェギョン、ありがとうな。俺の事も約束も忘れないでいてくれて」
「えっ、チン君は殿下だったの?はぁ、あり得ないでしょ・・・オッパ、折角迎えに来てくれたけど、頭冷やしたいから一人で帰る」
「ん、分かった。ウビンが待ってるから、先に帰れ。すいません、誰かチェギョンを東宮玄関まで連れて行ってくれませんか?お願いします」
「皇太后さま、皇帝陛下、皇后さま、そして皇太子殿下、本当に夢のような一日でした。ありがとうございました。失礼いたします」
チェギョンは、ペコリと頭を下げると、ガックリ項垂れて案内役の女官と部屋を出て行った。
「クククッ、内輪の話で、本当にすいませんでした。チェギョンは、チン君と結婚することを夢見て、目標にして生きてきたような子なので、今、夢と目標を失ってショックみたいです。どうかチェギョンの無礼をお許しください」
「なぜショックを受けるのじゃ?夢を実現させればよかろう。目の前にシンがおるのだから・・・」
「皇太后さま、認識がずれていますよ。ほとんどの国民は、皇族の皆さんに対して、一目お目にかかりたい。願わくば、一言言葉を掛けていただきたいと思っています。ましてや、自分の娘を皇太子妃にしたいとは夢にも思いません。強欲な王族や政治家、自信過剰な企業家は別でしょうが・・・あと違うのは、殿下と同じ年頃の一部の女性ですね。一夜を共にして、周りに自慢したいと思う輩です。僕のような御曹司や人気芸能人なら、その先にあわよくばセレブな妻の座をゲットできるかも・・・と付きます。チェギョンは、しがない大学教授の娘で一般庶民です。間違っても昔の約束を盾にして、『やった~!殿下と結婚できる~♪』とは思いませんよ」
「そんなものかのぉ・・・シンは、チェギョンと話してどう思ったのじゃ?」
「へ?・・・陛下や皇后さまの前で話すのは恥ずかしいのですが、チェギョンとはもっと話して、お互いをもっと理解できたら、その先に進んでも良いのではと思いました」
「そうか、そうか・・・ミンや、ヒョンには先程話したのだが、シンとチェギョンは先帝がお決めになった許嫁同士なのじゃ。シンには、高校に進学する際、許嫁の話をして人となりを見極めて、嫌なら断わっていいと伝えておったのじゃ。どう転ぶか分からぬゆえ、黙っておった。すまなんだ」
「いえ、皇太后さま。本当に明るくて良いお嬢さんで、宮に嫁いできてくれたら毎日が楽しくなりそうです。ですが、気になる点が、訓育についていけるかが少々心配です」
「クスッ、ジフ殿、その辺は抜かりはなかろう?」
「あの風変わりな父子が育てたので、正直分かりません。儒教学者だった祖父に四書五経は絵本感覚で習っていましたし、結婚相手が中国人と誤解したお陰で漢字は理解できますが、残念なことにハングル読みはできません」
「「ブハッ・・・」」
「陛下、殿下、大丈夫ですか?語学ですが、中国語と英語は完璧、日常会話程度ならフランス語とドイツ語も大丈夫だと思います。あと古典楽器は奏でる者が周りにいませんでしたので、ピアノしか教えていません。バイオリンはセンスがありませんでしたね。因みに歌はド下手です。最後に芸術的才能は、抜群にあります。主に水墨画と書道です。手先は器用で、ボランティア先の子どもたちによくマスコットを作ったりしていますね。難点を強いて言えば、斜め上を行く発想と猪突猛進的な行動力と素直すぎる事ですかね」
「素直なのは、良い事ではないか?」
「時と場合というものがあります。僕たちは英才教育で、人は疑ってかかれ。見極めてからでないと信じるなと教えられました。チェギョンはその真逆なので、僕達にとっては不安材料です」
「「「・・・・・」」」
「まぁ、結婚は二人の意思ですから、この件については僕は傍観します。では、遅くなってしまいましたので、僕も失礼いたします」
「あっ、ジフさん、もう少し時間をください。陛下と一緒に別件の話を聞かせてくれませんか?明日からの対応もありますので・・・」
「ミンや、それでは私達は先に失礼しようかのぉ」
「はい、皇太后さま。ジフ殿、今度は食事もご一緒しましょう。では・・・」
皇太后と皇后が居間を出ていくと、ジフはフゥ~と大きく息を吐いた。
「もう、良いとこのお坊ちゃんするの疲れた。陛下いるけど、普通に戻っていい?」
「クスクス、良いですよ。お疲れ様でした。そういう所、アジョシと似てるんじゃないですか?外面の良い所・・・」
「止めて!あの変人と一緒にしないで。じゃないと、小さい時、お飯事したらいつも赤ちゃん役だったことバラすよ。『チン君、お腹ちゅいたねぇ。ほらオッパイに時間でちゅよぉ』」
「///なっ・・・!!」
「ブハッ・・・」
陛下は、ジフの変わり身とシンの慌てぶりに豪快に吹き出してしまった。
(シン家にまつわる人間は、みな何て面白いんだ。父上が、お忍びでよく宮を抜け出していた気持ちがよく分かる)