チェギョンに言われ、シンは皇太后たちを廊下に連れ出そうとしたが、皇太后も皇后も腰を抜かしており、一人ではどうすることもできなかった。
助けを求めようとチェギョンを見た時、フワッと風が吹き、チェギョンの父ウォンと三尾が突然現れた。
「アッパ・・・」
「うん、大丈夫。姫は、皇太后さまたちのフォローに回って」
「はい」
ウォンは陛下の前に屈むと、片手で陛下の目を覆い、もう片方の手は陛下の胸に手を置いた。
「ヒョンくん、落ち着いて。俺の声が届いてる?大丈夫だから、俺の声を聞いて。落ち着いてくる筈だよ」
「・・・先輩?」
「うん、当たり。良い感じ・・・ほら、深呼吸してごらん?もっと落ち着くよ」
ウォンの声に反応するように陛下の体から出ていた黒い気がみるみる減ってくるのがシンとチェギョンには見えた。
「流石、アッパだ」
「凄いな、ウォンさん・・・」
ウォンは、落ち着いた陛下をソファーに寝かせた。
「ヒョンくん、君の気持ちは痛いほど分かるよ。偉大な父を持つ辛さは、持った者しか分からないからね」
「先輩・・・」
「僕を覚えてて、今でも先輩と言ってくれるとは嬉しいな。僕はね、偉大な父と偉大な子どもの板挟みで苦労してるんだ。多分、そっちでも僕はヒョン君の先輩になりそうだね。でも今は何も考えず、ゆっくり寝るといい。僕が傍に居るよ」
ウォンが陛下の顔に手をかざすと、ヒョンは目を瞑り、そのまま眠っていった。
シンとチェギョンがホッとすると、ウォンは振り返り、チェギョンたちの方を見た。
「・・・皇太后さま、皇后さま、はじめまして。以前、父が大変お世話になりました。ウォンとお呼びください」
「チェヨン殿のご子息か?今、ヒョンが先輩と申したが・・・」
「はい、皇太后さま。僕と陛下とは、初等部から大学卒業まで図書館仲間なんですよ」
「では王立に通っていたのか?先帝からもチェヨン殿からも聞いておらぬが・・・」
「父の命令で王立に通い、皇子さまを見守っていました。ですが、王族でも御曹司でもない僕は、本当に居心地が悪かった。それでいつも図書館に逃げ込んでたら、自然と陛下と顔見知りになったわけです」
「そうであったか・・・」
「ウォン、いい加減、本題に入らせてくれ」
「ああ、ゴメン。ここからは、ホ弁護士と交代します」
「皇太后さま、チェギョンから報告があったと思いますが、陛下に代わって、至急チョン王族の事件は宮内警察扱いにするよう取り計らってください。」
「あい分かった。コン内官、ヒョンの名前で宮内警察に連絡をしてやっておくれ」
「コン内官殿、家宅捜索する時に庭も念入りに捜査するように進言してください」
「かしこまりました。そのように伝えします」
コン内官が席を外すと、ウォンとチェギョンは皇太后と最高尚宮の許に行き、ヒーリングを始めた。
「ホ弁護士、なぜ庭の捜索を?」
「少し前ですが、姫が当て逃げされそうになったことがありまして・・・」
「えっ!?」
「ああ、ご心配なく。白虎のお陰で、目前で車が吹っ飛び大破したのみです。被害者は出ていません。その後、犯人は逃走を企てたので、朱雀が後を追いますとチョン王族の家に入っていき、その日の未明、チョン王族と執事が庭を掘り人を埋めたようです。誰かは分かりませんが、それ以降当て逃げ犯の姿は見えないと聞きました」
「なぜ今まで黙っていたのですか?」
「殿下、頭を使ってください。四神の1人朱雀が見たと通報するのですか?それに王族の嫌がらせは今に始まった事ではないし、返り討ちにすればいいことです。ただ今回は、ウォンの希望でキムさん夫婦を助けましたが、それがなければ我々は放置していました」
「・・・・・」
「ヒョン君の息子さん、昨日はどうも。あのアパートはね、人間の所為で行き場を失くした神々や妖達の駆け込み寺的な要素のあるんだ。だから僕や親父は勿論、住人達は宮よりもあのアパートを優先してしまう。どうか理解してほしい」
「・・・はい」
「何て偉そうなことを言ってるけどね、本音は誰にも邪魔されず、あのふざけた連中達と楽しく暮らしたいだけなんだ。君もいつでも遊びにおいで」
「はい!」
「アッパ、もう帰っていい?」
「姫、親父からの伝言。宮をくまなく回って、淀んだ気を浄化しておいでだってさ。折角、ヨンが回復したのにこれじゃすぐに疲れる。それに宮にいる人たち全員の健康も心配だ。頼むよ」
「は~い」
「殿下、申し訳ないが、うちの娘を案内してやってください」
「はい。チェギョン、行こう」
「うん♪」
シンとチェギョンが、連れだって部屋を出ていくのと入れ替わりにコン内官が戻ってきた。
「万事、手配してまいりました」
「お疲れ様です。皇太后さま、皇后さま、ヒョン君、うちで預からせていただいていいですか?」
「「えっ!?」」
「ヒョン君は、宮とは全く違う環境で己を見つめなおす時間が必要な気がします。その点、うちは常識ではあり得ない環境です。ヒョン君が、一皮剥けることを期待しましょう」
「了承したいのはやまやまだが、王族たちとの対応の事を考えるといてもらわねば困るのだ」
「お言葉を返すようですが、今の陛下では王族に丸め込まれるだけだと思います」
「そうだね。今のヒョン君は、普通の精神状態じゃない。王族を前にしたら、先程のような状態になるかもしれない」
「ではどうすれば・・・」
「皇帝が必要ないぐらい、ホ弁護士が暗躍すればいい。カメゾー、お前なら疑わしい王族が誰だか分かるだろ?」
『顔は知っておるが、名前は知らぬ』
「コンさん、王族の写真を用意してください。玄武が怪しい王族を教えるので、後はコンさんが調べてください」
「すぐに用意いたします」
「じゃ、あと頑張れよ」
「ウォン、お前、私に丸投げするつもりか?」
「俺や親父が動けば、報酬が発生する。式鬼をタダ働きさせない為の決まりだ。その点、お前は宮から報酬を貰ってるしな。心おきなく働いてくれ」
「ウォン!!」
皇太后たちが見守る中、陛下の体は宙に浮いたかと思うと、ウォンと共にスーッと消えていった。
「「「!!!」」」
「今見た事は、どうか内密でお願いします」
「・・・彼は一体・・・」
「神々が認めた人の子。人でないモノたちの悩みを聞くことを生業にしている本物の霊能力者?いや、違うな。式鬼を操る呪術師かな?」
「ホ、ホ弁護士、今の説明をしてほしい」
「ウォンの式鬼が陛下を抱えあげたので、宙に浮いたように見えただけです」
「式鬼?」
「簡単に言えば、補佐をする妖です。ウォンは、山神さまの眷属である犬神3匹を従えています。チェヨンさんにも九尾狐、妖狐族のTOPが付いています。そして空間移動や異次元を繋げる事は、シン家の真髄。基本的には、神様のお引っ越しの際に使うようです」
四神の存在を知っている皇太后たちでも 三尾の話は余りにも非現実的で、言葉が出てこなかった。
「チェヨンさんやその家族が怖いですか?あなた方と同じ人間ですよ」
「・・・・・」
「確かに妖怪や霊の中には悪いモノもいます。でもそれは、人も同じ。良い人間もいれば、悪い人間もいる。私は、社会的地位がある者や善人面をしている者が欲望を満たすために騙したり、殺めたりする人間の方が、却って怖いですけどね」
皇太后たちは、ホ弁護士の達観した考えに 妙に納得してしまった。
「人が住まう地には土地神、山には山神と至る所に神々は存在します。昔、戦争から戻ってこられた先帝は、全国を慰問して周られました。皇太后さま、覚えておられますね?」
「ええ、覚えています」
「先帝は人間の窮状を見回り、四神はそこに住まう神々の現状を調べて回っていました。その際、先帝はある裕福な家で虐待されていた子ども2人を助け、チェヨンさんをその地に呼び寄せました。チェヨンさんは、その子達の里親となり引き取った。2人は、先帝とチェヨンさんにいつか恩返しをしようと誓いました。現在、一人はチェヨンさんに協力して不動産王となり、一人は宮の顧問弁護士になりました」
「「「えっ!?」」」
「話を戻します。戦後の復興で、徐々に人は暮らしやすくなった半面、宅地開発や土地開発、土壌汚染などで住処を追われた神々が出てきました。当然、神は怒り、眷属たちは災いを起こします。トンネルの落盤事故が良い例です。インチキ祈祷師がお祓いをしても神の怒りは治まらない。そんな時、神の話を聞き、人と交渉をする仲介人が必要なんです。シン家は、人でないモノと人間との架け橋のような存在です。なのに王族たちは、先帝と縁の深かったチェヨンさんと殿下と同い年のチェギョンを執拗に排除しようとしています。だから私はアパートの住人としても腐った王族は排除します」
ホ弁護士の決意表明は、皇太后たちの気持ちにも変化をもたらした。
「腐った王族に支えてもらっては、あの世に逝った時、先帝に顔向けできぬ。ヒョンが使えないなら、私達で乗り切らねば・・・皇后、協力しておくれ」
「勿論でございます、皇太后さま」
「・・・陛下は、虚弱ゆえ自信がお持ちになれなかった。それでも皇帝として老獪な王族たちと立ち向かうも反対に丸め込まれ、益々自信がなくなってしまう。ストレスは相当なものだったと思います。負の感情は、周りに感染します。だから今、チェギョンは宮のあちこちに漂っている悪い気を祓っているはずです。これで少しは宮も居心地良くなるでしょう」
三尾はこれで皇太后たちを安心させられたと思ったが、皇后が物言いたげな表情をしていることに気づいた。
「皇后さま、何かご質問がおありですか?」
「・・・個人的なことなのですが、アパートの住まう兄についてです」
「ああ、ジンモさんですね。アパートに住む人間は、人と関わるのが苦手もしくは嫌いです。ですが、ジンモさんだけは、入居目的は違います。道に迷ったジンモさんはアパート前で血を吐いて倒れて以来、入り浸るようになりそのまま住みついてしまったって感じですね」
「えっ、血を吐いて倒れたって・・・」
「血が嫌いで医者になりたくないが、稼業を継がなければという想いがストレスとなって、体に変調をきかせたんだと思います。薬の行商をしている妖が、色々な薬を置いていくんです。漢方なんですが、それがまたよく効くんですよ。ジンモさん、血を吐いた直後だというのに薬を飲んだら丼飯を2杯食べてましたからね。それで薬に興味を持って、医学ではなく薬学の方に進学を決めたみたいです」
「そうだったのですね。納得できました」
「クスッ、面白いのが、妖が作る薬の効能を薄める研究をしているんですよね、ジンモさん。一発で治る薬なんて、会社に利益が転がり込まないでしょ?」
「まぁ・・・ふふふ、兄上らしいです」
「はい、変わり者ですね。だからあのアパートで受け入れられているんですよ。あとアパートには、偏屈な映画評論家もいますので、陛下は楽しめると思いますよ」
ホ弁護士からアパートの話を聞いて、皇太后と皇后は少し安心でき、顔に笑顔が戻った。
「陛下の事はアパートの住人たちに任せるとして、問題は宮です」
「しばらくヒョンは病気療養をすると発表して、太子に代役を頼むしかあるまい。コン内官、太子のスケジュール変更を頼む」
「かしこまりました」
「コン内官殿・・・殿下ですが、スケジュールは朝の8時以降から組んでください」
「それは構わぬが・・・何かあるのか?」
「玄武が覚醒を促しましたが、今のままでは宝の持ち腐れ。青龍が苦労するだけです。明日の早朝から少し鍛えていただきます。おそらくチェヨンさんがしゃしゃり出てくると思いますよ。あの人は人嫌いだが、呆れるほどのお人好しですから殿下のお世話をされるでしょう」
「はぁ・・・」
「クスッ、みるみる変わられると思いますよ。乞うご期待です」
コン内官は、目の前の弁護士を不思議そうに見つめた。
(やはり人でないモノと同居していると、人間離れした感じになるのだろうか・・・)
コン内官が、ホ弁護士が三尾の妖狐と知り、卒倒しそうになったのは、もう少し後のことだった。