シンは、新しく作られたシン用の執務室にコン内官と向かった。
部屋には、大きな執務用のデスクとソファーセット、それからがら空きの本棚があった。
「コン内官、まず最初に何から始めたらいいんだ?」
「はい。まずは王族会の面々を覚えていただきます。それと同時に今、陛下が取り組んでおられた案件や放置されていた案件の把握をお願いします」
「・・・分かった。ところで、この机の上にあるボックス、チェギョンが100均で買った物だろ?何で、ここにあるんだ?」
「一番左から説明します。至急決済してほしい書類、至急目を通してほしい書類、決裁してほしい書類、目を通さないといけない書類を入れる箱でございます。今まで分類されておらず、書類が積み重なり雪崩を起こしていたようで、チェギョン様が置くように命じられました。お蔭で、陛下の執務も以前より捗るようになったようです」
「・・・たったこれだけの事で・・・他に執務で変更になったことは?」
「はい。資料や案件はすべてパソコンに入力されるようになり、必要な書類のみプリントアウトして保存することになりました。これで必要な書類を探す手間が省けるようになりました」
法度を重んじ、昔のやり方を通していたことが、現代の情報社会では後れを取って当たり前。
こんな事にも気づかずにいたのかと、シンは呆れて溜め息が出てしまった。
「殿下?」
「コン内官、歳をとると頭が固くなり、融通が利かなくなる。今の宮が、そうなんだろうな。良い物は、臨機応変に何でも取り入れていこう」
「はい、殿下」
それからシンは、宮が取り組んでいる案件の資料や王族たちのプロフィールに目を通す毎日を過ごすことになった。
一方、皇后も水面下で計画を進めつつ、ヘミョンのフォローにあたっていた。
ヘミョンにイ女史から渡された資料を見せてもらい、益々チェギョンが欲しくなった。
「ヘミョン、これからはあなたが指示を出し、全てを決めなければならないわ。もっと精進しなさい」
「えっ!?そんな無理よ。お母さま、イ女史を呼び戻してちょうだい。お母さまならできるでしょ?」
「無理ね・・・第一、イ女史はチェギョンの指示を渡してただけだと思うわよ。この外命婦の指示は、宮にある茶器を把握している者でないとできないわ。イ女史が、知っている筈ないもの」
「あっ・・・」
「チェギョンの故郷の食器庫は、もっと細かに分類されて宮の倍以上の食器が保管されていたわ。きっとそれも全て把握しているんでしょうね。それにチェギョンの人脈の広さは、計り知れないわ。こんな私的な事柄を知っているのもチェギョンだからだと思うわよ」
皇后が指摘した箇所には、赤十字の理事の一人に初孫ができ、難産だったため母親は未だに入院していると記されていた。
「ヘミョン、貴女は皇女ということに胡坐をかいて、いざ皇女の役割を果たせと言われるとできないと言う。未熟者と言われても仕方ないわね」
「お母さま、どうしてあの子と比べられないといけないわけ?」
「不満?チェギョンは、私達女性皇族が執り行う行事もおじい様亡き後一人でしてくれていたそうよ。皇太后さまに聞いて、シン家に任せている行事を聞いてきたわ。これがそうよ」
行事のリストを見せると、ヘミョンはあまりの多さに驚いてしまった。
「チェギョンは学校にも通わず、シン宗家を束ねながら行ってくれていたの。行く行くはシンの妃になる者が取り仕切るでしょうが、今は私の代わりにヘミョンが先頭だってしてほしいの」
「すべてを犠牲にしてでもですか?」
「貴女が何を犠牲にしてきたと言うの?国民の税金で遊学してきて、まだ権利だけを主張するの?我が娘ながら付き合いきれないわね。一度、シンと一緒に机を並べて勉強してみたら、チェギョンの凄さが分かるわ。ユン尚宮、明日シンのスケジュールを調べて、ヘミョンに同行させなさい」
「畏まりました」
「最後に言っておきます。己の未熟さをしっかり把握し、ありのままを受け入れなさい。そうでないと前に進めませんよ」
翌日、ヘミョンはシンと同じ時間に書筵堂で一緒に講義を受け、己のあまりの不出来さに落ち込んだ。
「クスクス、姉上、大丈夫?」
「シン、貴方を尊敬するわ。本当にフランス語で数学の勉強してたんだ。私なんてチンプンカンプンだった」
「数学はまだマシだよ。それに頑張らないと、チェギョンに追いつけないし・・・」
「嘘っ・・・チェギョンの方が進んでるの?」
「チェギョン、俺がフランス語をマスターするのを待ってくれてるんだ。次は、ドイツ語かポルトガル語だってさ。俺、こんなに必死に勉強するの初めて。でも学校で学ぶより楽しいよ」
「そう・・・」
「姉上、どうしたの?」
「昨日、お母さまに怒られちゃって・・・」
ヘミョンは、シンに昨日の皇后とのやり取りを話した。
最初は驚いていたシンだったが、コン内官にキム内官を呼びだすように言った。
しばらくすると、キム内官が陛下の執務を抜けてやって来た。
「キム内官、忙しいのに呼び出してゴメン。チェギョンのシン宗家のデータ、キム内官の事だから内緒でダビングしてるんじゃない?持ってたら、見せてほしいんだけど・・・」
「えっ・・・畏まりました。ですが、絶対に秘密でお願いします」
「チェギョンなら、知ってて黙ってた筈。さぁ、見せて。姉上、今からお見せするのが、チェギョン率いるシン宗家の全貌」
キム内官から渡されたUSBをパソコンに繋ぐと、シンはヘミョンに自由に見るように言った。
ヘミョンは色々なフォルダーを開くと、食い入るように見つめていた。
(たった13歳の少女が、これだけの施設を管理してるですって!?それにこの年間スケジュール、祭祀だけでこんなにも・・・)
「言っておくけど、チェギョンはお飾りじゃないよ。ここで3ヶ月近く一緒に暮らしたけど、寝る間もないほどあちこちに指示を出したり、勉強してた。俺が誘わないと、毎晩寝ようとしなかったよ。その合間に宮の再建もやり、皇后さまの体調を気遣ってた。チェギョンが居なかったら、皇后さまはここまで元気にならなかったと思う。それほど扶余の里では丁重にもてなされたよ」
「シン・・・これが、お母さまが言われた己の力量を知れって事なのね」
「多分ね。。。でもウビンヒョンに、チェギョンは別格だから自分と比べて落ち込む必要はないって言われたことがある。ヒョン達も高校までは後継者のプレッシャーから悪さ三昧だったみたいだけど、チェギョンに出会って覚悟ができたんだって。チェギョンは、3歳から当主の道を歩んでるから覚悟の程が俺たちとは違うってさ。今まで、チェギョンとその人脈で、宮は守られていた。チェギョンが居なくなったこれからが、俺たち皇族の力量が試される正念場だと思ってる。姉上も俺も性根を据えてお互い頑張ろうな」
ヘミョンの完敗だった。いや、次元が違い過ぎて、競う事もできそうにないと思った。
「・・・チェギョンさぁ、姉上がチェギョンに反感を持っている事知っていたよ。アイツ、人懐っこく見えるけど、実際は警戒心の塊のような奴だからさぁ、そう言うの敏感なんだ」
「私、シン宗家に宮を乗っ取られるんじゃないかって・・・」
「はぁ、何でそんな勘違いを・・・姉上、『企業との取引・契約商品』というフォルダーを開いてみろよ」
ヘミョンは、言われたフォルダーを開き、宮の一覧表を探し当てた。
「これ見て、どう思う?宮は、シン宗家に完全に依存してるのが分かるだろ?シン宗家が乗っ取るつもりなら、とうの昔に乗っ取っていたさ。でもその気がないから、今まで個人的に宮と関わろうとしてなかった。チェギョンを宮に引き込んだのは、最長老と皇太后さまだ。恨むなら、2人を恨め。でもチェギョンが動いてくれたお蔭で、宮の膿を取り除くことができたのも事実。姉上は、国民から疎まれ税金泥棒扱いの宮の方が気楽で良かったか?そう思うなら、皇籍離脱しろよ。迷惑だ」
「シン・・・」
「母上が、不甲斐無い姉上を見てどれだけ心を痛めてるか・・・皇女でいたいなら、いい加減その自己中な考えは捨てろよ。勉強の邪魔だ。出ていってくれないか?」
書筵堂から追い出されたヘミョンは、皇后やシンに怒られ、改めて己の不甲斐無さを痛感した。
でもいくら努力しても自分に皇后代理が務まるとは思えないし、自信もなかった。
(もっとしっかりしないといけないことは分かってる。でもユン尚宮だけでは・・・もう一人、イ女史のような信頼できる優秀な人が欲しい)